中国地方の、美作の国に住んでいる。自転車を愛し、自転車で走ることを愛している。           

サイクリストは景観の中を走り、景観は記憶となってサイクリストの内へ堆積していく。景観は外部と内部の両方からサイクリストの心的状態に作用する。願わくば、美しい景観とその思い出に満たされて、走ることを心晴れ晴れと楽しみたいものだ。併し、サイクリングは往々にして、景観の中を旅する者を暗澹たる気分にもさせる。何故かと言って、ごみに出会わずにその日のサイクリングを終えることは恐らく出来ないだろうし、寧ろシクロツーリズムとはごみを訪ねて歩くことかな? とも、思えるくらいだ。残念ながらサイクリストが出会う景観はいつも美しいばかりとは限らない。 「夜と霧」で有名なビクトール・フランクルは、人は誰でもその人独自の使命を持っており、他の誰もその代わりを務めることは出来ないと言っている。極限の状況の中で人間性の尊厳を放擲することなく生き延びた彼は、人生について、それは生きる価値があるとかないとか云々することの是非に対してこう言っている。人は寧ろ人生から問われているのだ、使命を果たそうと努力する事によってしか、人は人生からの問いかけにこたえることは出来ないのだと…。齢を重ねて、人生の三分の二は既に過ぎてしまった或る男が、サイクリングを通じて心を痛め、ゴミ一つ無い美作をつくりたいと考えたと理解してください。そしてそれを使命だと考えたと思ってください。まさに虚仮の一念である。

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